国境の南を想い、太陽の西へ向かって歩いて行くような日々を生きる大学生の記録。
日々の考えや想い、ときどき写真と陳腐なレビュー。
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自分にとって家族や両親とは何か?いったい何なんだろう?
僕は、その答えの断片を表す言葉を、なんとなく掴んだような気がしている。
言うならば、僕にとっての(あくまでも僕にとって。一般論化するつもりはさらさらない。だからこれは個人的な備忘録的物語である)家族や両親とは、「焼肉屋を出た後の服の臭いであり、白いシャツについた焼き肉ダレのシミ」なのである。

まあつまるところデブ風の言い回しではあることは間違いない。体重70キロ以下の方には共感してもらえないかもしれない。なにせ僕の体重は現在85キロ(よく気付いたね)


さてさて、いきなり「私にとって家族とは何か?」とは、ずいぶん仰々しい問いだと思う。僕だったらこんなことブログに書いてるやつが居たら友達でも引く。あはは。

僕が家族のことを考えるようになったのはごく最近の事であって、何がきっかけだったかというと、ある雑誌に載っていた飴屋法水(あめやのりみず)さんという方のインタビューだ。

ウィキペディアで彼を調べてみると、
『飴屋 法水(あめや のりみず、1961年3月22日 - )は、日本の前衛的美術家、演出家、劇作家、アートパフォーマーである。動物商であったこともあり、Twitterのプロフィールには、自分の職業がわからないとも書いている。』とか書いてあるから、そんなん僕も彼が何者なのかよく分からない。

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飴屋さん 出典


で、彼が話していたことは手元にその雑誌がないから、正確には引用できないんですけど、要点だけかいつまんで言えば、以下のような感じ。 

人間なんてものは虚構、つまり「嘘っぱち」である。全部作り上げられたもので、本当の自分なんてものは探してもどこにも出てこない。たとえば、「自分のオリジナル」(「独自」というよりも「根源」という意味)な顔はこれ!って言えるか?髪型は?服は?体型は?
そんなふうに、オリジナルの自分を探していくと、玉ねぎの皮むきみたいに最後には何も残らない。だから人間とかホントの自分なんてものは嘘っぱちだと思う。
家族とか、もっと怪しい。あるとき、道端のコンドーム自動販売機に「幸せな家族計画」って書いてあるのを目にして衝撃を受けたの。ああそうか、家族って計画されて作られるものなんだって。子どもに関して、前提として生まれないように「避妊」している。そんである日ある晩、「よし、作るか」とか意気込んで避妊をやめる。 で、子どもを作る。そう考えると、やっぱり現代における人間の存在って怪しいし、家族も怪しい。
でも、とはいっても、人間って怪しいけど、その中に「本物」あるいは「本物っぽいもの」ってあると僕は思うから、舞台演出家やパフォーマーとして、自分や他人の虚構性や怪しさをどう「利用できる」か、そこに興味がある。


ま、長くなってしまったけど、大体こんな感じ。一年とちょっと前くらいかな?これを読んだのは。

もうそれで、当時はびっくりしちゃって。 
うわっ、家族って、人間って、嘘っぱちやないかーーーい!とか思って。まあ今こうして書いて読んでみると、「ふーん」って感じだけど。若干「ふーん」補正も入った引用になってる感は否めない。
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でもまあ当時はほんとにびっくりしたわけですよ。あーもうどうしよう、そんな家族なんて信用ならねえし、自分も虚構だし、もう辛いし、ニヒニヒーッって感じでニヒリズムに浸り、斜に構えて今後は太宰治の文庫本でも常に脇に抱えて、道ですれ違う世の人々に「お前は人間失格!お前は合格!そしてオレはお前でつまりそれオレyeah!」って片っぱしから指さして言ってやろうかと思ってた。

で、そういうのを経て、というか乗り越えて、
なんで今「家族とは焼肉屋を出た後の服の臭いであり、白いシャツについた焼肉ダレのシミである」とか血迷ったこと考え始めたのかは全然わかんないんだけど、振り返ってみるとまず姉貴の結婚式が大きかったかな。
僕は、3姉弟の末っ子。末っ子長男。姉貴ふたりは年子。しかも、僕と姉貴の齢は10才近く離れてる。一番タチ悪いタイプの姉弟構成なの。

で、僕は小さいころからいじめられるわけです。 こんな風にね。

「お前が生まれたときの写真がある?あるか?ないだろ?ね、だからお前は川で拾ってきた子なの^o^」(実家の近くに川があります)

姉「お前ピアノ弾いてみろよ。あたしたちが教えてやるよ。」
⇒僕はわけもわからず鍵盤を叩く
⇒姉「あーもうお前だめだわ。まったく才能ない。かけらもない。私たちがいくら上手に教えても全く未来がみえないわ。」 

姉「おまえ(僕)、あたま悪すぎだろ。だから、お前のこと今後アウストラロピテクスって呼ぶな。長いから略してアウストラ^o^」 

姉「お前、誕生日いつだっけ?5月30日?あー、、、じゃあ今後は君のこと「ゴミオ」って呼びます。」(ゴ=5、ミ=3、オ=0)


こうした蛮行の数々を僕は思い出すだけビクンビクンってなってしまいます。
でもそんなこともあったから、僕は中学に入るまで自分はほんとに欠陥のある頭の悪い子だと思ってたし、姉貴は天才というか、デスノートが人間界に落ちてきたら新世界の神には姉貴2人のどっちかが就任するんだろうなと思っていた。2人の姉貴の才能には恐ろしいものがあった。だって、学校の絵のコンクールとかでなんちゃら大臣賞とかとっちゃうレベルだったし(ガチ)、作文もすごかった。

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極めつけは、その脅威的な調合力。調合力?
ある日、姉貴2人といとこの姉ちゃん2人の計4人で、その辺に生えてる草を適当に引っこ抜いて、擦り潰して、水を入れて、瓶に詰めて、一晩寝かしたもの作ってた。まあ、みんなそういうことやった身に覚えはあるよね?
で、それを飼ってた犬に飲ませたらしいの。ふつう飲ませるか?まあそれは置いておこう。
そしたら性格も温厚で静かだった家の犬が、急にワンワンワンンワンンーーワンンワンンキャッとかいって吠え始めたわけ。

もう姉貴たち大爆笑。僕絶句。ただひたすら絶句。鬼だ。いや魔女だ。こいつらは魔界とか異界とか地獄とかそういうところとつながってる。ていうか、そういうところから来たんだ。
で、最後は、警察に追い詰められて「リュ、リューーークウウウウ」とか言っちゃう系だ、とか思ってた。
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まあこの『吠え薬伝説』からもわかるように、 僕にとって姉貴は天才であり魔女であったの。だってそのあと、僕はいくら草を調合しても吠え薬を作れなかった。まあ、中学・高校と僕の生きる世界が広がるにつれ、その幻想からは抜けられたんだけどね。いや、抜けたよ?魔女とか思ってないよ?


でまあ、そんな姉貴が結婚したんですよ。あれあれあれー?みたいな。魔女も結婚するんだ、みたいな。まったくやめてくださいよ悪い冗談はって感じですわ。いったいどんな魔界式の結婚式するんですかみたいな。また例の薬でみんな吠えちゃうんですか?みたいな。

でもねでもね、普段はドライな我が家族なんですけど、いざね、はーい魔界式の結婚式でーすって当日になると、親父とか泣いちゃうし、僕も酔っ払いながら涙ぐんじゃうし。ほんと、あれあれあれー?みたいな。コナン君もびっくりのあれあれあれー?状態。

でまあ、なんで泣いたかって、
やっぱり姉貴の御礼の言葉?なんかスライドショーで写真流しながら、お父さんとお母さんに今までありがとうみたいなことを言うじゃないですか。あれですよね。あれを聞いてると、なんかその風景みたいのが浮かんでくるんですよ。姉貴が「小さいころお父さんに引っぱたかれて、泣きながら山に登ったのも今では良い思い出です」とか言って。言ったかな?まあいいや。会場の人はドン引きですけどね。あはは。

で、僕は実際にその山登りの現場にいたわけじゃないんですけど(生まれる前の話)、なんかその風景ってふーっと思い浮かぶんですよ。いやだなーこわいなーと思いながら、魔女である姉貴を泣かせる大魔王親父の図が。ガチギレ親父ダンブルドアの顔が。そんな風に姉貴にしても、親父にしても、もちろん母親にしても、こういう時にはこういう風に振る舞うだろうな、こういう顔するだろうな、っていうのが、なんとなくわかる訳ですね。

つまりそういう風に、実際に自分が居たわけでもないのに、シーンが思い浮かぶのは、人生で最も長い時間を、家族と呼ばれる人々と共有しているからだと思うんですよね。
僕ら人間(!)って、日常生活で色々なものに所属しているじゃないですか。会社、学校、地域社会などなど。しかもその中で更に、部活とか、クラスとか、部署とか、サークルとか、デ部とか、デブとか。ほんといろんな集団があり、集団の数だけ人の所属がある。そういう所属の中で他人と関係を築いて、その関係の中で「自分」とかいうものに目覚め、悩み、苦しみ、そして太る。

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必死こいて日が暮れてもグラウンドで白球追いかけたり、一方では必死こいて白いパンツ追っかけたり。「ねえちょっと男子ぃ!みんなで鼻くそばっかほじくってないでちゃんと歌ってよ!」とか言われ、「お前進捗は?なんで連絡しないの?」とか、「昨日頼んだあの仕事もうおれやるから良いよ(どーん)。」とか言われたりしてね。 


とはいえ、常に或る1つの所属にとどまる訳ではないと思う。つまり、1つの場所や集団にずっと所属することはなかなか無いと思う。いつの間にか白球を追いかけていたのは10年以上前になり、「ねえ男子!」とか言われてたのは6年ぐらい前になり。
まあ白いパンツに関しては今でも自然と目で追いかけてるんだけど。

或る所属を出て、また別の所属に入る。
会社なんかだとまた時間のスパンが違うんだろうけど、まあ働く前の小・中・高の学生時代ってのは、特に大学生ぐらいのゆるーい時間の過ごし方をする時期には、色んな集団とその所属に出たり入ったりする。
で、何年かした後に、「あの時のレース付きのひらひらパンツ最高だったよな」とか言いながら、自分たちが所属していた過去の時間や空間をちびちび振り返る同窓会とかやっちゃう。
そうして、今いる自分の位置を確かめようとする。
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でも、
家族ってそういう世の中にたくさんある「所属できる集団」とは、はっきりと違うんだと僕は思う。思い始めてる。 
何がそれらを区別しているかというと、
確かに同じように所属できる集団ではあるけど、そもそも生まれを選べないし(つまり生まれる時点で、この家族!って選択して所属できない)、しかも「集団に所属する時間の長さ」というものさしで考えたら、家族と他の集団は圧倒的に違う。圧倒的に長い。どのくらい長いって、生まれたその瞬間から、死ぬその時まで、あるいは死んだ後も、その所属はずっと続く。揺りかごから墓場まで。自分が望むと望まないにかかわらず。

そんなことねーよ、
たとえば別に「血のつながり」なんかなくても家族は成り立つし(是枝さんの『そして、父になる』って映画はそんな話でしょ?観てないけど。違ったらゴメン)、
もう家族なんかいやだ!親父もお袋もだいっきらーい!ベロベローバー!上等だ!じゃあお前なんか勘当だ!ヒャッハー!みたいなのもあるじゃんって感じに、考える方もいると思う。ぺろぺろ。
まあとりたててそうした意見に反論するつもりはないんですが、それにしても、血のつながりが無いにしてもかっこつきの家族という名のもとで過ごす時間は長いと思うし、感動だ!勘当だ!っていう絶縁状態になるにしても、たぶんそれまでに10数年の歳月にわたる所属の時間、つまり一緒に生きてきて同じ風景をみた時間を共有していると思うのです。その点で、やっぱり家族という集団への所属は、特別なのです。と思う。



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「家族とは焼肉屋を出た後の服の臭いであり、白いシャツについた焼肉ダレのシミである」

ねえそろそろ本題に入りましょうよ。ね。もう今夜中の3時だし。冗談じゃないよ。 やることあるのにさ。
さて、焼肉屋に行くじゃないですか。みなさん。僕はデブだから週1で行ってた時期がありましたよ。ええ。

で、群馬をはじめとした北関東には朝鮮飯店(ちょうせんはんてん)という焼肉屋さんがありまして。そこを略して朝飯(ちょうはん)と呼ぶんですよ。それが会話なら、「ちょーはん」、と聞こえるから分かる。理解できる。何も問題ない。ええ。
でもそれが、メールとかで来ると途端にややこしくなる。「今日朝飯で朝飯食ったわー」とかメールが来ると、もうノストラダムスの予言並みに何言ってるか良くわからない。致命的に。「ああ、ちょうはんであさめしね」って理解するのに4か月はかかる。致死的な時間ですよね。

で、朝飯の前とか通りがかると、いい匂いにつられて入っちゃうんですよね。 朝飯だー^^とか思って。もう北関東の人は、朝鮮飯店の前を通ると、パブロフの犬状態になるんですよ。よだれがダラッダラ。わかるかなーこの感じ。まあ吸い寄せられちゃうんですよ。駅前なんかにあったらもうそれこそ致命的。高崎駅前の朝鮮飯店とか、すごく危険なの。みんな気を付けてよ。まじで。
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で、入りますよね。肉食べますよね。そりゃそうですよ。それが焼肉ですよ。パフェ食いに来てるんじゃないですから。もちろんパフェも食べますけどね。
んー今日は何にしよっ☆とかって肉頼んで、肉ジュージュー焼いて、白飯(大)の準備も万端、小皿に焼肉のたれを適量準備して、さあ頂きまあーす!(いまおれパブロフの犬状態)
うんうん、うまいうまい、ムニャムニャ、やっぱり朝飯で食べる朝飯は最高だな!
朝からお会計4000円とか気にしなーい☆

そして次の瞬間である。







えっ、あっ、あっ!
んあーーーーーーーーーーーーーー!!!







悲鳴にも似た響きが、朝鮮飯店に響きわたる。それも、その悲鳴は1つじゃない。色んな席から、四方八方の席から聞こえてくる。サラウンドシステム完備。あざす。
何が起きたかって、あろうことか今日は白いシャツを着てきてしまった。そしてそのシャツに焼肉のタレが、あのおいしい焼肉のタレが、飛んでしまったわけ。白いシャツに。ああ、朝鮮飯店サポーターとしてあるまじき。許すまじ。自分許すまじ。もう二度と白いシャツ、白いTシャツなんか買わないぞ。もう白いパンツなんか追いかけないぞ。
いずれにせよ間違いなくシミ。シミ決定ですわ。クリーニング屋さんのマジックハンド or ゴッドハンドに任せないとまず間違いなくシミ。 でももうしょうがないから、肉とパフェ食べる。お会計する。ミントの飴かガムもらう。それで店を出る。

そして次の瞬間である。






えっ、あっ、あっ!
んあーーーーーーーーーーーーーー!!!








お店を出たその瞬間に、シミだけじゃなくて、焼肉の臭いがシャツにびっしり染みついていることに気付く。昨日買ってきて、そのままルンルン気分で今日おろしたばかりのシャツなのに、その臭いのせいでシャツがひどく黄ばんだように見えてしまう。

もう嫌だ。朝鮮飯店最悪。なってこった。もう二度と来ない。
こんな忌々しいシャツ、もう捨ててやる!ってその時は思う。思っちゃう。
で、その日一日中シミと臭いにイライラヒヤヒヤしながら過ごして、夜になって家に帰ってきて、必死にファブリーズ。無限ファブリーズ生産工場。焼肉ダレのシミも、水にぬらしたティッシュ押し付けて、なんとか薄めようとする。ツメでガリガリやる。でも、臭いもシミも全然取れない。恐るべし朝鮮飯店。憎き朝飯。

でもさでもさ、またいっちゃうんだよねー朝鮮飯店。ね。そうでしょ?まあ分かりにくかったら朝鮮飯店を牛角にで
も置きかえて考えてみてくださいよダンナ。
YOUも行っちゃうでしょ?牛角、叙々苑、ラーメン二郎。



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なんか言いたいこと、伝わってきましたかね?笑
僕が、「家族とは焼肉屋を出た後の服の臭いであり、白いシャツについた焼肉ダレのシミである」とか思っているのはですね、つまりこういうことなんです。

焼肉店から出て初めてその匂いに気付くように、家族から離れてみて初めて、長い年月掛けて自分に染みついた家族の匂いに気付く。ふとした日常の動作から気づく。
もう親の影が一ミリも見えない東京の下宿先の部屋で、親がやっていたように皿をあらっちゃったり、洗濯や掃除の勝手なルール作っちゃう。家で友達と酒飲んでる時にふと発した一言に、親の気配を感じる。あの時親から言われてうぜーーーーーとか思ったことを、今目の前に居る人に言ってしまってる自分がいる。で、そういう自分の中にある親の気配を感じると途端に消したくなる。ツメでガリガリ剥がしたくなる。いや、ありえない。親のあんな部分を受け継いでしまっているのか。うわーー。やめよやめよ、もう絶対やめよ。わたしはワタシ、とか言って。でも消せない。また無意識のうちに出ちゃう。そしてそれが、いつの間にか積み重なって私の当たり前になってしまう。
焼肉屋の匂いや焼肉ダレのシミと一緒ですよね。

ほんとは好きな匂いなんだけど、好きな味なんだけど、
「わたし」、という真っ白い、何色にでもできる自分の白いシャツに、それがこびりついているのを感じると、他の人の目が気になって、っていうか他人の目線ていうより自分自身がそれを気になっちゃって、なんとかして、そのシミみたいなものを取り除こうとする。

でも、できない。できないんだ。どうしても。家族に関して、実際の「焼肉屋を出た後の服の臭い」や「白いシャツについた焼肉ダレのシミ」と違うのは、やっぱりその年月。時間の長さですよね。「焼肉屋を出た後の服の臭い」は正直一回の洗濯でどうになるし、「白いシャツについた焼肉ダレのシミ」も本気出せばどうにかなる。でも、白いシャツを、15年間でも焼肉屋に置いておいたら、タレのシミ飛びまくりの匂いも臭いに変わってこびりつきまくりじゃないですか。やりたくないですけど想像はできますよね。そんなもんだと思うんです。


とはいえとはいえ、匂いもシミもつくのは嫌だけど、また戻ってきちゃうんです。どうしても食べたくなっちゃう。昔からここに来たら絶対たべてたやつまた久しぶりに食べたいし、あーこんな新商品でたんだー、みたいなことがあるから。で、ふと店内を見回すとお客も少なく、いつのまにかこの店さびれたなあ。昔はここが一番いい店だと思ってたんだけどなあ。とか思っちゃう。

両親だってそう。なんか実家帰っちゃう。なんとなく。理由とかしらねーけどさ。もう20歳になって何年もたってるのに、今日の夕飯はー?とか母親にきいちゃう。まあ何より居心地いいしね。
で、ふと両親の顔とかまじまじと覗きこむと、いつの間にかシミが増えシワが増え、頭にも白髪が増え、なんかメタボ気味だったのがいつのまにか全身がほっそりしてきたことに気付く瞬間がある。天才魔女の姉貴も今はマグルのふりして働いてる。そんな感じですよね。


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まあそんなこんな上に書いたようなことから、
僕は 
「家族とは焼肉屋を出た後の服の臭いであり、白いシャツについた焼肉ダレのシミである」と1つ納得して、ガッテンガッテンして、また寝て起きて前に進もうと思っています。

飴屋さんのインタビューを読んでから、「家族って怪しいし、しかも俺結構イケてるし、親に頼らなくてもこれからは一人でガシガシやってけんじゃね?まじオレお前yeah。まじ家族最高父親母親まじ感謝深謝陳謝とか言ってるやつなんなの」とか思っていました。表現は誇張してますが、でも割とそれに近いことを。思っていたわけです。感謝はしてましたけど。恥ずかしいけど。

でもね、やっぱりそのシミや匂い、全然取れないし、むしろどんどん匂うし、目立つ一方なの。
だったらもうね、皆からあいつくせえなあ、しみだらけのシャツきてんなー、と思われてもいいから、 黄ばんでるけど恥ずかしがらずちゃんとシャツ着て外に出よう。臭くて汚くてみなさんは迷惑に思われるかもしれませんが、これ僕が20年以上大事に着てるシャツなんです。汚い臭いを通り越して、ちょっとシャレオツじゃないですか?とか思っていこうと思ってる。


で、自分に子どもができたら、生まれた瞬間すぐ真っ白いシャツを着てせてやる。裸ん坊のすっぽんぽんな瞬間などないぐらい素早く。そんで目一杯、長い時間をかけて、僕の匂いや臭い、そしてシミをいっぱいいっぱい付けてやろうと思ってる。


白いシャツは、親だけが買えて、自分の子どもにだけ着せることができる。親からの子どもへの最初にして最後の、そして唯一の贈り物。 親が臭いやシミをつけることもあるだろう。そのシャツを、自分で汚すこともあるだろう。友だちや先輩、いつかしかできる恋人や自分の子どもから、そのシャツに色を付けられることがあるだろう。でも丈夫なシャツだから、20年も40年も60年も着ていられる。

そんで、80年か100年経って、さすがにボロボロになって、脱ぐときが来る。大体、病院とかで脱ぐの。うん。
ああ、来たか脱ぐときが。え、みんな、なんで泣くの?僕がこのシャツを脱ぐのがそんなにいやなの?え、脱いじゃうよ?そんな悲しい顔しないでよ。泣かないでよ。脱ぐから、僕は裸になるけど、ちゃんとこのシャツ、ハンガーにかけてどっかに飾っとくなり、誰かがまた再利用して着るなりしてよね?だって僕が80年も100年も着てきたし、ポケットの部分なんかは親父のシャツから取って縫い付けた奴だからさ。捨てられちゃったら、親父にも申し訳が立たないし。
じゃ脱ぐよ。脱いじゃうからね。ゆーっくりゆーっくり脱ぐよ、よく見てろよ。今のうちにシャツ着てる俺にありがとう言いたい奴は、ちゃんと言えよ。裸になる前に言えよ。な?ボタンに手をかけるぞ。うわー脱いじゃうんだ。でもちょっと寒いかもなー恥ずかしいなー。やっぱ脱ごう、ね。脱がないと。みんな最後はそうしてるんだし。おまえらもういいか?覚悟決めろ?ちゃんと見てろ?
脱ぐぞ。はい、脱ぐ!脱いだ!脱げた!はい!あっ、意外と裸ってのもいいね。なんか開放的。お花畑にいる的な気分。ああ、いいじゃない。うん悪くない。
あっ、お前ら、僕はもう裸だけど、みんな俺みたいに最後に裸になるまで、ちゃんとやれよな。勝手に自分で決めつけて、勝手に服脱ぐなよな。駅で電車が来るときに合わせてみんなの前で服脱いだりするやつとか、ビルの屋上で服脱ぐやつがいるけど、やっぱり服は着てたほうが良い。暑くて暑くてたまんない時、もうひと思いに脱ぎたいときがあるかもしれない。でも、少し待てば涼しくなるから。な。

じゃ、そろそろ行くわ。裸で生活するわ。裸の人たちが僕を待ってる。行くわ。みんな、末永く元気でな。いつかまた会えると思う。そう思う。


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そんなライフプラン。
最後書きながら泣いた。ぼろぼろ。みんな親とか家族からもらった服着て生きてんだよな。
お前ら脱ぐんじゃねーぞ。勝手に。脱げねーんだから。
少なくとも、おれはちゃんと最後まで着る。着る覚悟だし、着る決意だ。
おばあちゃんからもらったシャツの袖だから、ちゃんと最後まで着るの。

ね。ありがとう。いま朝の5時半。これが死。

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どうもフクダと申します。
「おしゃべり根暗でぶめがね」です。

雑で適当。
自分勝手で薄情な恩知らず。
中途半端に凝り性で、
中途半端なこだわりをもってます。
どう仕様もない無知と偏見を以て、
へらへらと世界を眺めてます。

苦手なこと:服のサイズ選び
得意なこと:暴飲暴食、ダイエット宣言

2011年12月25日より、
色々なご縁に与り、
世界中をうにょうにょお散歩して参ります。
地球上の皆さま、ご迷惑をおかけします。
ご注意ください。

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